ニコニコと何が嬉しいのか笑顔を絶やさない大司教を軽く睨んでから、プリーストの男は口を開いた。
「謹んでお断り申し上げます」
 断りの返事だったにも関わらず、表情を崩さないままでいる目の前の上役に苛立ちを感じながらもプリーストは尚も言葉を進めた。
「俺、妹と二人暮らしですよ?同居なんて嫌です…ってか無理です」
 大司教の話は簡単なものだった。
ミッドガッツ王国首都プロンテラには沢山の神に仕える者が住んでいる。その者の中で自分が選ばれた、というのは光栄に思うべきところなのだろう。
「うん、でも、もう決まっちゃったしね」
ニコニコと嬉しそうに大司教は言い切った。プリーストが自分に逆らえないことを知っていたし、彼の不安を取り除くこともすでに手配済みだったからだ。
「あぁ、妹さんはシスターマチルダのことろで暫く居てもらうことになってるから、安心して」
「なっ!」
 プリーストが驚きの声を上げる。大司教は彼が安心するものだとばかり思っていたので、この表情は意外だった。
「…これで貴方の不安は取り除けたでしょう?何を変な顔しているの?」
 笑顔が初めて崩されたが、プリーストにとっては決定事項が崩されなければ嬉しくも何ともない。
「俺の顔は変じゃない!って、違う!俺が言いたいのは、男と同居すんのが嫌なんだ!!」
 妹のことは、ただの口実にすぎなかったらしい。
大司教は彼の口ぶりに怒りもせず、やはりニコニコと笑いながら言い放った。
「イーロン、君は前僕に美人なら対象者でも一緒に住みたいもんだ、って話していたじゃないか?なんだい、今更」
 笑いながらではあるが、有無を言わさないそれを含んだ口調で言われれば、イーロンと呼ばれたプリーストも言葉に詰まる。
「…美人って言えば普通女だろうが」
 先ほどの半分の勢いもなく言って見せれば、大司教は大きな目を細めてイーロンを見た。
「だいたい、君のところに女性を預けるなんて危険なまねは僕にはできないよ」
 対象者はあっちの部屋にいるから、連れて帰ってね。とそのまま言われれば従うしかすべはなく。
もともと大司教の言葉は大聖堂全体の決定だったのだ。イーロンの抵抗など、心地よいそよ風程度の出来事に過ぎない。
「チクショー!手当てははずめよ!!」
 悪態をつきながら、イーロンは奥の部屋に向かった。対象者に会うためである。
『対象者』とは、何らかの理由で大聖堂に預けられた者の名称である。その者達のだいたいは更生を願われ大聖堂の扉をくぐる。
 イーロンの対象者も、騎士団から更生を頼まれたらしい。
今朝自宅のほうに届けられた対象者の資料を読みながら、廊下を歩くイーロンは眉を顰めた。
 一ヶ月ほど前にパートナーであるアサシンを自分の剣で貫いていた体勢で対象者は発見されたらしい。何日も食事をとっておらず、かなり衰弱していたが発見時に「自分が殺した」とはっきり話したと書かれていた。
「…えー、俺殺されたら全国の女性が困るじゃん」
 むしろ、殺人なんてやったんなら処罰しろよ。とか思いながらも、資料を読み進めると騎士団が大聖堂に更生を頼んだわけがわかりはじめた。
 アサシンはモンスターに襲われた形跡があり、それが致命傷で対象者の行動は人道的であったものが高いと思われる。対象者の行動は騎士として恥ずべきものでは無かったと、とそこには記されていた。
 しかし、事件後も食事や睡眠をほとんど摂らず騎士団のほうも扱いに困っていたらしい。
「ははぁ、それで天下の大聖堂に依頼したってわけか」
 イーロンは大聖堂が何故こんな依頼を受け入れたかが気に入らなかった。多分、先ほど会った上役が強引に決めたのだろうとは思うが。
 まぁ、自分としても生まれてこの方人しか殺したことがありません、っていう対象よりもこういった大人しめな対象で良かったといえば良かったしな。
 何しろ、更生を行う対象とは暫く一緒に住むのが原則だ。
24時間体制で何にでも対応しなければ、人の更生など容易くできるはずもない。と、資料を閉じたところで、奥の部屋の前に付いた。
「…できれば、美人なオネーチャンのほうが一番良かったんだけどな」
 まだ諦めきれないイーロンの呟きは、誰にも届きはしなかったけど。


 部屋に入ってまず、驚いたことは対象が美人だったことだ。
自分の上役はその願いだけは聞き入れてくれていたらしい。まぁ、男に美人っていう表現もおかしいのだが。
「…え、えーと。ハジメマシテ?」
 なんと声を掛ければいいのか分からないので、とりあえず当たり障りの無い言葉を選んでみる。が、無反応。
対象は部屋の右奥の窓辺に立ち、外を眺めているように見えた。イーロンは無反応の相手に、少しカチンときて大股に近づく。
「おい。話しかけられてんだからこっち向くくらいしろよ」
 腕を掴んで強引に向き合うような形に持っていく。
ガチャリと騎士の鎧が音をたてたが、すでにイーロンの耳には届いてなかった。
 ……うむ、確かに美人だ。
綺麗なものなら何でも好き、と公言しているイーロンである。この感想は大目に見てもらいたい。
「…もしもし?」
 向き合ったのはいいが、それでも無反応な騎士にどうしていいか困る。
騎士団の人もこの態度に困ったんだろうなぁ、などと思い溜息をついた。
 無反応、無表情。
 生きているのに、まるで生きる意志がない。
事件前の騎士を知る者たちの話では、彼は常に笑いの中にいたらしい。ふざけるのが好きで、パートナーともよく笑いあっていたと。
 資料作成した人が、この騎士を知っている者だったのだろう。
以前のような笑顔を取り戻して欲しい。そう書かれた資料の最後のページを思い出し、イーロンは表情を引き締めた。
 手にした資料の一番最後に『イーロン・リー』とサインする。
依頼はこの騎士の更生。
「…確かに、承った」
 さて、と。対象者は相変わらずの無反応で目の前のイーロンを見ている。
いや、視線がこちらに向いているというだけでイーロンはその目に映っていないのかもしれない。
 それが、些か寂しいなと思いながら、イーロンは二度目の台詞を口にした。
「ハジメマシテ」
 それから、もう一つ。

「これから、ヨロシク」



 後日、この対象者のことを友人に話したときに「だって、笑ったらもっと美人だと思うわけよ」と、洩らしていたことを加筆しておく。