知り合いに薦められた酒場に訪れたことに、早くも後悔し始めていた。
いや、酒場自体は悪くないのだ。料理も酒も自分が知る中では一番の味だったし、店主も店員も愛想は良くなかったが不快ではない。
 後悔も原因は、今の隣に居座るプリーストという『予定外の出来事』にある。
そのプリーストも普段であればこんな性格ではないのであろう。しかしながら、ここは酒場である。何度も繰り返して申し訳ないが、酒場なのだ。
 つまり、このプリーストは俗に言う『酔っ払い』だったりする。
がこっそりと溜息を吐くと、そのプリーストはギロリと(あえて形容するのであれば、人をも殺せそうな視線で)睨んできた。
「おい、君。ちゃんと聞いてんのか?」
 半分以上聞いていなく残りの半分は聞きたくはないけど耳に入ってきてしまうというのが現状だったが、それを正直に言うつもりもないので曖昧には頷いた。
「…で、ウチの弟がだなー……」
 永遠3時間、このプリーストによる弟自慢を聞かされているは後悔の真っ只中であった。
そもそも知り合いでもないプリーストに声を掛けられたのは、こちらの非からではある。しかし、その代償としてこの3時間は妥当かと問われれば、否なのだ。

 3時間前、まだ夕飯時といっていい時間帯にはその店を訪れた。
ミッドガッツ王国首都プロンテラはその日も例外なく賑わっていたが、不思議とこの店の周りだけはひっそりとしている。
 この店を教えてくれた知り合いが「隠れ家的存在」と称していたのにも頷ける雰囲気だった。
ドアに不釣合いな可愛らしい看板に小さく『虹色四葉』と書かれている。これが店名なのだろう。
 重苦しいドアを開け、中に入ると表の陰気臭さとは違い、店内は意外に活気に満ちていた。
各テーブルには料理と酒と人の笑顔に溢れ、は密かに知り合いに感謝した。この酒場は当たりだろうと思ったからだ。
 かなり混雑している店の中で、不思議に一つだけ空いていたカウンター席を見つけた。そこに腰を下ろすと店主に飲み物を頼む。
店主はに一瞥しただけで、特に何も言わなかった。
「親父さーん、ソードフィッシュの素揚げとカニ汁追加!」
隣の男が食べ物をオーダーしている。その声に彼の方を見てみるとプリーストだった。
 別段、プリーストが珍しいわけではない。
隣の男のような鈍器を携え、自らの肉体を鍛え、神?そんなもん知らねーよ!っていうプリーストだってこの時代珍しくともなんともないのだ。いや、隣の席の男が神様を敬っているかどうかまでは知らないが。
 コトリ、と小さな音をたてて目の前のグラスが置かれた。が頼んだものが程よく冷やされてグラスの中に注がれていく。
「どうも」
 店主に小さく答えると、先ほどと同じように一瞥されただけだった。
とりあえず一口飲んでみる。
 先刻した知り合いへの感謝を深めて、はもう一口それを飲む。
このぶんだと料理も期待できそうだと思いメニューを探す。手に持ったグラスを置こうとしたしたその瞬間。
「あ」
 グラスが倒れた。
木でできたカウンターは年代物なのだろう。あちこちいびつに歪んでいるが、丁度の真ん前、つまりグラスを置こうとした辺りが一番歪んでいてとてもではないが物体を置けるような感じにはなっていない。なるほど、席が不自然に空いていたわけはこれか。
「ぉあ!」
 倒れたグラスの中身は隣の男、プリーストの漆黒の法衣に吸い込まれていく。
少し大げさな声を上げながらプリーストは手で濡れた部分を払っていった。
「ぁ、すみません」
 慌ててもそれに倣ったが、その男の手で粗方水滴は弾かれており大事にはならずに済みそうであったが。すまなそうに見上げたら、プリーストは笑いながら言った。
「あぁ、大丈夫大丈夫。今日も元気にオークまみれになってきたんだ。こんな汚れ今更だしな」
 ヒラヒラと濡れた手を振りながら、店主に向かっても「どうせ親父さんの店の床だって、こんな汚れ今更だろ?」とウィンクつきで話している。
いや、ウィンクといっていいのだろうか?
 なにしろこの男の片目は眼帯で覆われているてそれを窺い見ることができない。しかし、彼の雰囲気からしてウィンクでもしてそうな、そんな感じあったためはそう思ったのだ。
 男はどうやらこの店の常連らしい。
が何も知らずにこの席に座ったのだと理解したプリーストは、この店について(頼んでもいないのに)教えてくれ始めた。

 これが、悪夢の3時間の始まりである。


料理も酒も自分が知る中では一番の味だったし、店主も店員も愛想は良くなかったが不快ではない。教えてくれた知り合いに感謝するくらい当たりな酒場である。
 で、あるが。

はここの常連になるものかどうか、それについて暫く悩むことになる。
 何しろ、酒や 料理といったものでなく、全くの『予定外の出来事』がもれなく付いてくるような気がするからだ。
それが気がするだけでなく、その通りになることはこの時点では分かっていない。