身を置いている安宿の部屋に入るなり、ウィザードは目の前を歩くプリーストの腕を掴んで引き寄せた。
雨に打たれ続けた身体は体温を失い冷え切っていたが、自分もそうそう変わらない状態だったので溜息を一つ吐くと、風呂の用意をするためにその腕を放した。
 放された腕を自分で掻き抱くようにしたプリーストを一瞥すると、手近に転がっていたタオルを投げる。
ともかく、雨の滴を拭いたほうが後々のことを考えれば良いだろう。
が、放物線を描いたタオルはキャッチされることなく、プリーストの足元に落ちた。
 決して投げたタオルに気付かなかったわけではないだろう。今日もまた、何も得られなかったことに対しての怒りが彼を動かせないでいるのは、短くはない付き合いでわかっている。
「…諦めろ。とは、言わん。 だが…」
「うるさいよ」
 ウィザードの言葉を遮るようにしてプリーストが口を開く。
「君には関係ないだろう? これは僕たち兄弟の問題なんだから」
 数週間前に一度だけ見たプリーストの兄を思い出す。
初めて知り、そして初めて見る『弟』を驚愕の表情で対峙していた剣士を。
「…兄弟、ね」
 薄く笑って、風呂場に向かっていた足をプリーストに向ける。
「向こうは兄弟だなんて思ってないんじゃないか? いや、お前の存在すら認めたくないと思うがな」
 この言葉にプリーストは長身の男を睨むと、反論しようと口を開きかけた。
それを狙っていたのか、素早い動きで唇でそれを塞ぐと、濡れた髪を引っ張り上を向かせる。
「…んっ、ふぅ……っ」
 抵抗を見せるプリーストであるが、体格差は否めない。
段々と口付けが激しくなるにつれ、その抵抗もなりを顰めたが。
「向こうにしてみれば、ずいぶん迷惑な話だよな? いきなり自分の父親を奪った奴が押しかけて来たんじゃ」
「…るさいって、言ってる」
 尚も睨んでくるプリーストに、片眉を上げて見せたウィザードは言葉を止めるつもりは無かった。
思い込んだら一直線のプリーストが暴走しないようにお目付け役も兼ねて同行したが、何も進展の見込みのないこの『兄弟』のことに正直うんざりしていた。
 自分は、いや、自分たちは決して暇ではないのだ。
ギルドのマスターからも帰ってくるようにせっつかれている。
「お前だって、本当は『お兄さん』と仲良くしたくて来たわけじゃないんだろう?」
 数年前、このプリーストがギルドに入りたての頃に、一度だけ腹違いの兄がいることを話されたことがあった。
その時は、友好的ではなく、むしろ憎々しく思っているかのように話していたのを記憶している。
「…本当は、安心しに来たんだよ。 お前は」
 そんな『兄』にわざわざ会いに来たのは、最近亡くなった両親のせいだろう。
突然の両親の死。孤独。
 それが腹違いとはいえ、唯一残っている自分との血の繋がり、それを求めて来た。初めはそう思っていたのだが。
「同じように、独りぼっちになった『お兄さん』を見て、安心したかったんだろう?」
「違う!」
 離れようとする華奢な身体を押さえつけ、ウィザードは笑みを深くした。
「違わないだろう? だから、あの剣士君に常時付きまとっているブラックスミスを見て不快に思ったんだ」
 勝気な瞳はウィザードから逸らされはしなかったが、先ほどまでの強さはなく。口では否定しているウィザードの言葉を肯定しているかのようだった。
「僕は独りになったのに、なんで兄さんは独りじゃないの? って、我侭だな」
「何も知らないくせに! 勝手なこと言うな!!!」
「でも、どこかでそう思っているのは事実だろう?」
「…っ」
 言葉を詰まらすプリーストの、雨で張り付いた前髪を優しく掻き揚げる。
「で、だ」
 いきなり、先ほどから浮かべていた笑みを消し、真顔になったウィザードにプリーストも神妙になる。
「このままシテしまうのと、大人しく風呂に入ってからスルのは、どちらが良い?」
 押さえ込まれている先は、偶然というかウィザードの策略というか、ベッドの上。
それに気付いたプリーストは先ほどとは比べ物にならないくらいの力でウィザードを剥がしにかかる。
「風呂! ってか、風呂に入って大人しく寝るで!!」
「そうか。 風呂か」
 以外に容易くプリーストを離すと、ウィザードは濡れたマントを脱ぎだした。
それに嫌な予感を覚えたプリーストは一応釘を刺しておこうと言葉を紡ぐ。
「…風呂は別々だからな?」
 途端、ガッカリとする長身の男に「アホか」と呟いてからプリーストは風呂場に向かった。
湯船に浸かる習慣がないらしいプリーストはシャワーで済ませる気なのだろう。
 華奢な後姿が脱衣所に消えるのを見送ってから、ウィザードは溜息を吐いた。
どんなにウンザリしていても、彼を置いてギルドに戻るつもりはない。
それに、ここで自分一人が帰ったら、本当に彼は独りになってしまう。最も、プリーストの中では自分はカウントされていないようではあるが。
 窓を横目で見ながら、落ちたタオルを拾うと自分の髪を拭き出した。
街をモノクロームに染め上げる雨をぼんやりと眺めて、ウィザードは思う。
いつか。
 いつか、あの華奢な体躯のプリーストが独りでないことに気付けば良いと。
あの剣士にブラックスミスが付いているように、プリーストにも自分がいることに気付けば良いと。

 暗い雨は、止む気配をみせることはなかった。