お昼頃から怪しくなった雲行きに、アルケミストは眉を顰めてみせた。
 天気が崩れると客足が途絶えるし、冷え性なものだからミニスカートの自分には酷く堪えるからだ。
しかしそれも一瞬のことで、彼女はすぐにいつもの笑顔に戻すと目の前で無駄に悩んでいる客に決断をさせるべく話しかけた。
「はいはーい。お客さーん、何になさいましょうかー」
 お客さん、といっても馴染みの顔である。
品物から顔をあげ、ハンターは困ったような笑顔でアルケミストに答える。
「ね、ね。 これさ、もうちょっと安くならない?」
「ならなーい」
 うちは値切り不可ですよお客さーん、とハンターの頭についているウサミミの指で弾く。
「えー、そ、そこをなんとか!」
「ならなーい」
 二度目の値切り交渉も即答。そして今度はハンターの額を指で弾いた。
「痛い…」
 大人しそうな外見からは想像はつかないが、純戦闘特化のアルケミストの指弾はモンクほどでないにしろ威力はある。
「これでも友人特価の値段よ? 文句あるんなら他あたってちょーだい」
 市場の最安値を更に下回った値段である。友人特価というのは嘘ではないだろう。
「でーも、」
 先ほどまでその最安値に文句を言われて機嫌を損ねていたかのように見えたアルケミストは、そう言葉を続けるとニンマリと笑顔になる。
その笑顔にハンターは嫌な予感がはしる。
 アルケミストとは知り合ってそんなに時間はたっていないが、こういった笑みを浮かべた人間が碌なことを言い出さないのは経験上分かっているからだ。
「え、あ…やっぱりいらな「コレ!」
 大きな声と共に出されたのは一枚の紙。
しかし差し出された紙は、ハンターがきちんと見る間もなく仕舞われてしまう。
「これにサインしてくれたら、もう少し値段下げても良いんだけどなー」
「え? 今の紙、何?」
 ハンターの当然の疑問には笑顔で答えず、「どうする?」なんて畳み掛けてくる。
見ていた商品は+9クワドロプルマリシャスコンポジットボウ。
 ハンターであれば一度は憧れる装備である。
それの値段が下がる。サイン一つで憧れが。
「する! サインするから!」
 その言葉を聞いた瞬間、ニンマリだった笑みがニヤリ、になる。
しかし、憧れの弓の値段が下がるというニンジンを目の前にしたハンターはそれには気付かずに再度差し出された紙にサインをする。
 ハンターは気付くべきであった。
笑みが変わったことは、もちろん。
 自分が今書いている紙が、どんな代物であるか。とか。
 先ほどから一言も声を出さず、後ろに大人しくしている悪友のアサシンがどんな表情をしているか。とか。
 それに、なにより。
「書いたよ」
 きっちりしっかりサインを書いた後、その紙をアルケミストが受け取る前に後ろからアサシンが掠め取ってしまう。
そして名前を確認すると、我慢できないとばかりに笑い出した。
「ぶはっ! おま、ちょっ……簡単すぎ!」
「ちょっとー、笑うなんて失礼よ? 折角の決意なんだしー」
 アルケミストが笑顔なのは常時なので違和感はないが、普段よりも笑みが濃い気がするのは気のせいではないだろう。
しかし笑みの濃さよりも、気になるのは『折角の決意』という一言である。
「何で笑うんだよ! ってか、決意って?」
 サインをしただけで笑われて、少し機嫌をそこねたハンターが問う。
笑顔の二人はハンターの問いに答えるべく、サインをした紙を目の前に広げる。
 それはミッドガルド王国の判が押してある正式な書類。
そこには。

「え? 養子、縁組……申請書ぉぉおおおおお?!!!!!!」

「おめでとう、パパ♪」
「これで名実ともにパパになったわけだな」
 だから、気付くべきだったのだ。
差し出された紙が何なのか。
後ろで大人しくしていたようにみえたアサシンが必死に笑いを殺していたこととか。
端々に、そのアサシンとアルケミストがアイコンタクトを取っていたいたこととか。
「はいはーい。」
 ショックを受けているハンターの顔を覗き込んで、笑顔のアルケミストは口を開いた。
「+9クワドロプルマリシャスコンポジットボウ。ご希望通り、少しお値段下げても良いけど……」
 大人しい外見からは想像できないかもしれないが、彼女は純戦闘特化がアルケミストである。
「少ーし値下げしたところで、君のお財布じゃ到底買えないよ?」
 そんな彼女が、養子縁組の書類の前で固まっているハンターの鼻先を、力いっぱい指で弾く。





精神的にも肉体的にも痛い出来事。
 まだ日が落ちるには時間があるにも関わらず、雨雲によって暗くなったプロンテラの空は、そのままハンターの心中を表しているようだった。