プニ、プニ、ビヨーン。

プニ、プニ、ビヨヨーン。

 子供の頬を先ほどから何度も伸ばしては戻し、伸ばしては戻し、を繰り返している。
ちょっとしたオフザケであるなら分かるのだが、その不可解な行動をしているハンターは『オフザケ』とは程遠い顔をしていた。
「……? ………??」
 そのハンターの奇怪な行動に、ハテナエモを出してはいるが身動ぎ一つしない子供は、頬を伸ばされる度に規則的に瞬きをしている。
かなり長い間、無言でその動きを繰り返したハンターであるが、突然口を開いた。
「……あのさ、」
 一旦言葉を止め、ついでに手の動きも止めると、自由になった頬を子供が擦る。
ハンターも同じように擦ってやると、もう一度口を開いた。
「ボクに、何か言うことない…?」
「……? 別に、ないですけど…」
 永延と頬を伸ばしていたかと思ったら、要領の得ない質問。
当然子供には何のことだか分かるはずもなく。
子供のその返答に、ハンターは不機嫌そうな顔になると、もう一度、そして今度は先程よりも速度を上げて子供の頬を引っ張り出した。
「? ??」
 頬を弄ることについて、何か言ったほうが良かったのだろうか、と子供は思ったが、良い言葉が浮かばなかったので、今度も子供は何も言わず、されるがままになることにした。
どんなことであろうと、ハンターが自分を構ってくれるのは嬉しいことだから。




 事の起こりは、数日前。
ハンターが何時も通り、片思いしている人の家に行った帰りのことである。
好きな人の手料理はハンターの心とお腹を存分に満たしてくれるものだった。その余韻で上機嫌だったハンターは、偶然会った人物にも軽やかに挨拶をしたのである。
「どうもー」
 露店を出していた赤毛のアルケミストは、ハンターの姿を見ると何か思いついたように顔を明るくする。
「はいはーい! パパ、よく来た! ナイスタイミーング!」
「パパ違うからぁぁぁぁああああ!!!!!!」
 自分よりも年上のアルケミストのパパになんぞ、なれるはずがない。
「あら? そうよね、うん。私が『パパ』って言うと、違う響きに聞こえちゃうかもー、だもんね」
「それも違うからぁぁぁぁぁあああああ あ あ あ !!!!!!!」
 別に違う意味での『パパ』という響きになんて聞こえてない。
 そして、ハンターが違う意味での『パパ』になんてなりようがない。
「はいはい、分かってるって。……貧乏って辛いよね(後半小声)」
「ん? 何か言った?」
「んーん? 何にも? ……そうそう! そんなことより」
 はい、これ! とアルケミストが差し出したものを見る。
安易に受け取らないのは、ハンターが学習をしているせいであろう。
受け取ることを警戒しているのが丸分かりなハンターに、少しアルケミストは拗ねたように口を尖らすと、差し出したものが怪しいものじゃないことを告げる。
「やーね、変なものじゃないよー。 これ、あの子に必要なんじゃないかって思って!」
 そう言いながら、アルケミストは自ら袋から品物を取り出す。
そこには、食人植物の花とカタシムリの皮が各5個ずつ。
 あの子に必要、とアルケミストは言った。
彼女が言う『あの子』とは、先日正式にハンターと養子縁組になった子供のことである。
「なんで、必要なの?」
 確かに怪しいものではなかったので、それを受け取るも、ハンターの口からは疑問が漏れる。
 その疑問に、アルケミストはちょっと詰まる。
「え? いらなかった? あー、そうか、まだ分かんないんだっけー?」
 いや、だから、何が? とハンターは口に出して言いたかったが、アルケミストの露店にお客が来てしまう。
戦闘特化のアルケミストではあるが、商魂は他の商人以上のものがある。
「あ、ごめーん! お客さん来ちゃったよー。……それ、使わなかったら売っちゃっていいから! じゃねー!」
 アルケミストは早口でそれだけ言うと、クルリとハンターに背を向ける。
そして極上の(商売用)スマイルでお客に対峙したのだった。

「いや、だから、なんで?」
 呟いたハンターの疑問は、もはや彼女の耳には届いていない。





 好きな人の手料理で満足したお腹と、アルケミストから渡された謎のアイテム。
天秤に掛けると、まだまだ充分に好きな人の手料理という幸せのほうが勝っていて、アイテムのことは「ま、いいか」と思うことにする。
 思うことに、したかった。
友達である、アサシンに会うまでは、ハンターの中では「ま、いいか」で終わるはずだったのに。
「何持ってんだ?」
 壁から声がする?! と驚いてみれば、それは良く聞き慣れた声で。
シーフ系のスキルで姿を隠しているのだろう。
声だけの友達に、ハンターは持っていた袋を広げて見せた。
「食人植物の花と、カタシムリの皮だよ」
 ハンターが告げると、ゆらりと壁際の空間が歪む。
そこから姿を現したのは、聞き覚えのある声の持ち主である、見覚えのあるアサシンで。
「へぇ、お前が取ってきたの?」
「いや、アルケミさんが」
 5個ばかしを取って来て何の意味があるんだ、とハンターは思う。
「あぁ、なるほどね。 ま、俺と被んないで良かったじゃん」
「へ?」
 被るって何が? と問う前に、広げた袋にアサシンは何かアイテムを投げ入れる。
「ちょ、これ何?!」
 ハンターの言葉に、アサシンは、え、何、分かんないのコイツ、みたいな小馬鹿にしたような顔になる。
「見ての通り、貝の剥き身、人魚の心臓、短い足」
 それもしっかりと5個ずつ。
「それは見れば分かるけど! だから、何でってこと!」
 物を貰う理由が分からない。
「何でって、アイツにゃ必要なんじゃねぇの?」
 アルケミストも、アサシンも、それが子供に必要だという。
ハンターから見てみれば、どれも取るに足らない収集品でしかないのだが。
意味が分からずに、ハンターは収集品を見つめる。
 そんな様子に気付いたのか、アサシンはもしやと尋ねてきた。
「…お前さ、もしかして……聞いてねぇの?」
「何が」
 自分は何を聞いてないのだろう。何を知っていれば良いのだろう。
「アイツの、転職」
 てんしょく?
アサシンの言った単語の意味を脳が理解するまで数秒。
そんな話、ハンターは一度たりとも聞いてない。
 仮にも、親子なのに。
成り行きでっていうか、騙されてっていうか、兎も角、ハンターは不本意な結果だが、親子なのに。
「…お前、マジで聞いてねぇんだ」
「聞いてない」
親子なのに、聞いてない。
「あーぁ、嫌われちゃったんじゃねぇのぉ?」
 アサシンのからかいを含んだ言葉が、胸に刺さる。
「そ、そんなことない(…と、思う)! あ、ほら、多分、転職間近に言って驚かそうとか! いきなり二次職の制服着て自慢しようとか! きっと、そういうわけなんじゃないかな! うん!」
 親子なのに聞いてない理由を、無理矢理作ってみる。
声に出してみると、本当にそういう理由なんじゃないかという気になってきた。
 少し気は楽になったが、アサシンと会う前よりも膨らんだアイテムが入っている袋は、重量以上の重みになったように感じた。







「で、当日なわけなんだけど、まーだ聞いてないのね?」
 アサシンから話を聞いたアルケミストが、ハンターの肩を軽く叩きながら確認する。
確認といっても、ハンターがどんよりとした雰囲気を見れば、『転職します、ぱぱ!』という言葉は貰っていないのが分かる。
「いや! でも、ほら、ボクに内緒で、後々驚かせるって気なんじゃないかな! ないかな!」
 引き攣った笑みで言うハンターに、アルケミストの手が置いてないほうの肩を、アサシンが叩く。
 労わるような行動に見えるが、顔には面白がっていると言わんばかりの笑みが張り付いている。
「嫌われちゃったんじゃねぇの〜〜」
 もう一度、この前と同じことを囁くと、アサシンは視界に入ってきた小さな者へと視線を移す。
 向こうもこちらに気付いたようで、嬉しそうに笑みを浮かべながら小走りに近寄ってくる。
「ぱぱ、どうしたんですか? 騎士団の近くに来るなんて、珍しいじゃないですか」
 真っ直ぐにハンターに向かってくる様で、子供が嫌っていないことなど分かりそうなものであるが。
それが分からないのが、このハンターである。
 本人の名誉の為に記述しておくが、ハンターが鈍いわけではない。
アルケミストとアサシンにアイテムを渡された日以来、二人に会うたびに「嫌われたんじゃね?」と言われ続けてきたのだ。
 半ば以上刷り込まれた悪い思い込みは、目を濁すには充分で。
「え、あー、うん、まぁ…その」
 思いっきり言葉に詰まるハンターに、子供は笑みのまま首を傾げると口を開いた。
「今、転職試験中なんで、私はこれで失礼しますね」
 折り目正しく一礼すると、子供は騎士団の建物の中に入っていく。
それを無言で見送る三人。
 一人は、自分が取ってきたアイテムが有効であればいいなーなどと思いながら。
 一人は、からかうべきか、それとも流石に元気付けるようなことを言うべきか迷いながら。
 一人は、え? 内緒にしてて、後々「転職しました!」って驚かそうって計画じゃないの?! と最後の希望が潰えて、声が出なかっただけだけど。









プニ、プニ、ビヨーン。

プニ、プニ、ビヨヨーン。

 子供の頬を伸縮させているハンターの顔は『オフザケ』をしている様子ではなかった。
そのハンターの様子に、子供は少し困りながら、でも、止めようとはしない。
短くは無い沈黙を破ったのは、今度もハンターのほうであった。
「……あのさ、」
 一旦言葉を止めて、でも今度は手の動きは止めずに、緩めるだけに留めて。
「ちゃんと、言おうね」
 ハンターの言葉に、子供は焦ったようにコクコクと頷く。
頬を摘まれた状態で頷いたものだから、変な風に引っ張られて面白い顔になってしまっている。
 それを見てハンターは噴出すと、摘んでいた頬を笑いながら擦った。 子供の転職当日、ハンターが言っていた『後々驚かせよう』という計画はあながち間違いではなかった。
 それは、子供が意図した計画ではなかったし、驚いたのはハンターだけではなくてアルケミストもアサシン吃驚したのだが。
子供は『まま』を亡くしてから冒険者になったのである。
一人で冒険者になることを決め、一人で冒険者になり、そして、剣士になった時も、当然、一人だった。
 だから、知らなかったし、思いつかなかった。
転職の瞬間を誰かの立ち会って貰うとか、祝ってもらうとか。
一人が、当たり前だったから。
 だから、普通に、何でもない毎日の生活の一部であるかのように、転職を終わらそうとしたのだ。
アルケミストやアサシンに転職を告げたのは、ただ聞かれたから、である。
「そろそろ転職なんじゃない?」と言われれば「はい、もうすぐ転職します」という会話の流れになるのは自然のことだ。
「じゃぁ、ぱぱも、聞いてください」
 自分ばかりが悪いみたいだと、頬を擦られながら子供は口を尖らす。
先刻の二人のように、ハンターが問うていれば、子供は答えたと言いたいのだろう。
 それを言われるとハンターも強く出れない。
親子なのに転職を報告されてなかった、と自分はショックを受けたが、見方を変えれば、親子なのに転職の時期を聞かれもしなかった、というようになる。
「ぅ、今度から、ちゃんと聞くようにします」
 思わず敬語で答えるハンターに、今度は子供が笑う。
その子供の笑顔を見て、再度ハンターも口元が緩む。

ハンターにとっても、子供に構うのは嬉しい事のようだ。  




end















「親馬鹿になるほうに、3ゼロピ」
「それ絶対賭けにならねぇって」
 だって、俺もアイツは親馬鹿になるって思ってるし。

アルケミストとアサシンの賭けは成立はしなかった。
しなかったが、予言としては成立することになる。

それは、そう遠くない未来に分かること。