「別に、凄く退屈で、よくある話よ」


 好奇心で訊ねてみれば、隣に座っているアルケミストは手にしていたグラスをテーブルに置きながら呟いた。
「んー、でも、気になるじゃない? あんの騒がしくて自己中心的なハイウィズが想ってる人なんてさ」
 プリーストもアルケミストに習うように、手にしていたグラスを置く。
首都プロンテラの一角にある、目立たないように作られた一軒の店。
『虹色四葉』と書かれたプレートが掛かっているドアの内側に、二人はいる。
 一人は、アルケミスト。
垂れ目と、その顔に張り付いている柔和な笑みがそう思わせるのか、大人しそうな女性である。
赤く長い髪を一つに纏め、楚々とした出で立ちとは裏腹に、彼女は戦闘特化のアルケミストであるが。
 一人は、プリースト。
アイスブルーの瞳が冷めた印象を覚えるが、声も口調も年齢相応に高く明るい感じがする。
少女、と呼ぶに相応しい外見だが、雰囲気はどこか大人びてもいた。
「あ、言えない事情でも、ある?」
 プリーストが知りたがっている、同ギルドのハイウィザードの想い人。
それについて、アルケミストは多少なりとも情報を得ている。
個人的に云々というわけでなく、それは『仕事』として得た情報であるが。
「そうねぇ、別に口止めされてるわけじゃないんだけど〜」
 でも、本当に、退屈で、馬鹿で、よくある話よ? とアルケミストが返すと、プリーストは口元に笑みを浮かべた。
「あら、今日という日に、退屈で、馬鹿で、よくある話しを聞けるなんて、嬉しい限りだと思うけど」
 プリーストの言葉に、アルケミストも違いないと笑うと、ハイウィザードと、その想い人、現在、アルケミストが監視している人物について、話はじめた。











むかーし、むかし、ある所に、大変仲の良い兄弟がおりました。
兄は弟を溺愛し、弟は兄を敬愛しておりました。
しかし、不幸の種は、とうの昔にばら撒かれ、根をはり、芽を出していたのでございます。
ことの起こりは…………そうね、どれが起こりかしら?
どれもがキッカケで、どれもが小さいことで、私には正確には分からないけども。
でも、発端は、『父親』が死んだことでございます。
実は、その兄弟には血の繋がりは一切ございませぬ。
兄の父親が、知り合いの孤児院から引き取る予定だったのが、弟でございました。
そしてその日、予定通り、弟を引き取りに行った日に、それは起こったのでございます。
一人留守番をしていた兄の耳に、突如しらされた訃報。
それはすでに片親を亡くしていた兄にとって、まさに不幸の知らせでございました。
知らせを受けた兄は、父親が虫の息で収容された大聖堂へと足を進め、そこで面影の少ししか残っていない父親との対面を果たすのです。
涙のお別れ。
父親の遺言は一言、弟と仲良く。
そうです。迎えに行った弟は無事でございました。
喜ばしいことです。
えぇ、喜ばしいことですとも。
兄も、喜びました。
そうですね、喜んでいたように、見えたでしょうね。
幼子は成長し、その日を向かえました。
冒険者として世界のあちこちを回る兄の留守を守るべく、その日も弟は家で大人しくしておりました。
あぁ、兄の父親という人物のことを少しお話しておきましょう。
父親は非常に徳の高いお人だったようです。
優しく、実直で、力も、信頼も、全てを持ち合わせた非常に出来たお人でございました。
……少々子煩悩で、亡くなられた奥方を異常なまでに愛しておられたようでございますが。
それは置いておき、ともかく、とても周りから慕われた方でございました。
その父親が命を賭して守った子。
それが弟でございます。
人の感情とは入り組んだ迷路のようにございます。
その人が、父親と弟と、どのように考え、思ったかは定かではございませんが、父親を慕うあまり、弟を憎んでいたのでしょう。
一人の人間から、弟は真実を…いいえ、違いますね、事実を知ることになります。
もちろん、悪意ある人間からなので、悪意ある言葉と、それによって少し捻じ曲げられた事実を。
かくして、自分のせいで兄の父親が死んでしまった、ことを知った弟は、兄同様に冒険者になるのです。
強くなって、兄を守ると。
兄の父に貰った命は、兄の為に使おうと。
一方、兄。
冒険者になったのには、複数の思惑があってのことでございました。
弟と仲良く、と言い残し事切れた父親の言葉通り、弟を大切に大切に育てていたのではありますが。
先ほども述べたように、人の感情とは理性とは別の次元でございまして。
仲良くしているとは、真逆の感情をも内に秘めておりました。
考えてみれば易いことでございましょう。
唯一だった肉親を奪われた激情を、どこにぶつければ良かったのか。
奪った張本人。
もちろん、そうでしょう。
助けれなかった、騎士団。
もちろん、そうでしょう。
救えなかった、大聖堂。
もちろん、そうでしょう。

発端の、孤児院の幼子。

もちろん、そうでしょう?

遺言通り「仲良くしなければ」という思いと、「お前のせいで」という思い。
その二つを飼いながら、兄は冒険者となり成長していくのでございます。
兄も、弟も、家族という絆に餓え、振り回されながらの生活でございました。
さて、どれが不幸の種で、どれが根で、どれが葉で、どれが幹かは私には分かりませぬ。
分かりませぬが、終焉は確実に近づいてきておりました。
兄も弟も冒険者として立派に過ごす日々が続いておりました。
兄弟となりて十数年。
月日が経つのは早いものでございます。
そう安穏とした日々が巡り、その日がやってきたのでございました。
新しく発掘されたというダンジョン。
物珍しい魔物が居るということで、物見遊山気分で出かけた兄弟と周囲。
冒険者としてレベルも高く、少々自信過剰になっていたのでしょうね。
ろくな準備もせずに、ろくな知識もなく、警戒もなく。
結果を申しますと、弟は本懐を遂げたということです。
兄を守る為に、自分の命を使ったということでございます。
弟は思ったように最期を迎え、兄は一見溺愛していたように見えても心の奥底では憎んでいた相手が死んだ。
喜ばしいことでしょう。
えぇ、喜ぶところでしょう?
人の心とは、本当に分かりませぬ。
兄は、後悔したのです。
きちんと向き合わなかったことに。
憎しみを抱き続けたことに。


後悔したのです。













「って、いう陳腐な話、よー?」

 口調を素に戻し、アルケミストは手にしてたグラスの中身を一口飲む。
氷がカラン、と軽い音を立て、冷たい液体が喉を潤してくれる。
「あー、あのバカなハイウィズの身の丈にあった退屈な話ね」
 プリーストも一口飲むと、先ほどよりも笑みを濃くした。
「まぁ、バカは嫌いじゃないし、自分に素直って素敵だと思うし」
 プリーストの言葉を聞きながら、アルケミストは軽く目を閉じる。


『…ねぇ、助けてあげようか?』


何時の日か、カラッポの自分に降り注いだ声。
 それを、あのハイウィザードも聞いたのだろう。
そして願ったのだ。

叶えられない思いを。





「でも、本当バカな話よねー」
 瞼の向こうで、プリーストが尚も話を続ける。
「折角、弟生き返らせて貰ったのに、その子は記憶無くしてるわ、身体も縮んでるわ、おまけに他の人間を親だと思ってるわ…わぁ、カワイソウ」
「…絶対、カワイソウなんて思ってないデショー」
 目を開けてプリーストを見てみれば、いつも通りの生意気そうな笑顔。
プリーストからも、アルケミストが普段通りの笑顔を浮かべているように見えているだろう。
「思ってないない!だって、あんなに温くて、幸せな弟がいるんだよー! なんだかんだ言ったって、シアワセじゃん」

 笑顔の私達は、復讐しか望まなかったから。

「さーて、明日もお仕事お仕事ー!」
 アルケミストはそう言うと、勢い良く椅子から立ち上がる。
「もう帰るのー? あ、そうそう。今度その子に会わせてよ。噂の『パパ』ってのも見たいしさ」
「『パパ』見たら絶対笑うわよー? だって、すんごい適当に作った写真に本当ソックリなんだものー」



 声を上げて笑いながら、アルケミストは店を後にした。