足枷をつけ、歩いていくのです。

それは日々重くなり、私の歩みを遅くするでしょう。

それでも、私は足枷を外すことなく歩いていくのです。



あの優しい人達から罪を許してもらう、その日まで。
















「…ねぇ、君は今幸せ?」


「そうなんだ。でもね、君はその好きな人達の幸せを奪ったんだよ。君がいなければ………あの人は、死ぬことなんてなかったのに」









 瞼を開けると、見慣れた天井が見えた。
小さく息を吐き出し、ゆっくり身体を起こすとベッドが鈍い音を立てる。
その音で隣に寝居ている者を起こしてしまったんじゃないかと思ったが、彼の規則正しい寝息でそれが杞憂であることを知った。
 白ずんだ空で、もう今日という一日が始まっていることを思う。
あぁ、今日も一日が始まる。




「おはよう」
 上の兄であるウィザードの言葉に目を細め、口角を上げる。
これで相手には自分が笑っているように見えるのだろう。同じように口角を上げた兄に、元気良く挨拶を返した。
 それから、もう一人の兄を探す。
下の兄はプリーストで大聖堂勤務のため、もう仕事に出てしまったのかもしれない。
「もうお仕事に向かわれたのですか?」
 キョロキョロと辺りを見渡し、兄に訪ねれば大きな手で頭を撫でられながら頷かれた。
「最近、忙しいらしいからな」
 適当な相槌で返しながら、今日一日の自分のなすべきことを逡巡する。
「お前は? 今日は用事とか何かあったっけ?」
「いえ、今日は何もありませんが…」
 特にしたいことも、するべきこともなかった。素直にそう答え、言い難そうにしている兄の次の言葉を待つ。
「…そうか。ちょっと悪いんだが、お使い頼めるか?」
 一番良い笑顔になるように、表情を作って頷いて見せた。



 兄の頼みは至極簡単なものだった。
忘れ物をしたらしいプリーストの兄に、それを届けるだけなのだ。
 しかし、上の兄自身はすでに約束があり出かけなければならないらしいし、忘れていったものは今日必要だと言っていたようなのである。
 それを持ち、一瞬自分のペットのことを思う。
「…ま、いいか」
 昨日は遠出をしすぎたため、疲れているのであろう。定時を過ぎてもまだ起きてこない彼を思い、一人で大聖堂まで行くことにした。

 実は、大聖堂は好きじゃない。

両親が早くに亡くなったため、大聖堂からは援助をしてもらっている身でこんなことを言うのは憚れるのだが。だが、苦手なものは仕方ないのだ。
 大聖堂の中に入ると、近くに居たアコライトに兄を呼んできてくれるように頼む。
兄は大聖堂勤めが長いため大抵の人は彼の顔や名前を知っている。そのアコライトも例外ではないらしく、「少々お待ちくださいね」と言って呼びに行ってくれた。
 壁に背を凭れ、表情を消す。
誰もいなくなった廊下で、わざわざ笑顔を作る必要がないからだ。
足音がした。
 急いで表情を取り繕おうとしたが、その足音は自分のほうには向かってこない。
兄ではない誰かが少し離れた曲がり角から直進するのであろう。自分のほうには、目もくれないに違いない。
 そう思って、小さく息を吐いた。…が、すぐ、その吐いた息を詰める。
足音の主は、見たことのある人物だったから。
 さらさらと音がしそうなほど、滑らかな栗色の髪。大司教だけが纏える法衣を着たその人は。
「どうした?」
 食い入るように見ていたらしい。兄が自分のすぐ近くまで来ていることに気付かなかった。今度こそ、慌てて表情を作る。
「あ、あの…これ、忘れ物です」
 上手く笑えたどうかは分からないが、とにかく書類を渡し、兄の返事を聞く前に大聖堂を後にした。

 大聖堂は、好きじゃない。



 家に帰るなり迎えてくれた静寂が早鐘のように鳴る自分の心臓を落ち着かせてくれた。
 玄関を閉め、そのままずるずると崩れ落ちる。


「君は、今幸せ?」


 耳に残る彼の声が頭の中に蘇る。
思わず、耳を塞いでうずくまった。忘れていたわけでもないが、常の彼の言葉を覚えているわけではなかったから。だから、ふいに見た彼の姿で、こうも動揺してしまったのだろう。
 玄関にうずくまって落ち着くのを待つ。
かなり長い間、その体勢でいただろうか。突然、頭に何かが触れた。
 驚いて思わず顔を上げる。

あぁ、笑わないと。

瞬時にそう思ったが、今度こそ笑みを作ることはできなかった。
「……」
 目の前にいるモンスターの名前を小さく叫ぶ。
今頃起きてきたのだろうか。それは少々寝すぎである。
そう言おうとして口を開けたが、何も話すことはできなかった。
 今日見た彼の姿と、乗せられているペットの手の暖かさで、何かが喉の奥にせり上がってきたからだ。
 それを、先ほどと大差なく自分が落ち着くのを待ってやり過ごす。
 待つしか、方法を知らなかったから。
あぁ、そう。確か、あの時もそうだった。
 自分の部屋のベッドの上で、膝を抱え、カタカタ鳴る歯が落ち着くまでずっと。
ずっと、待つしかなかった。


 しばらくしてから、いつもの笑みを作った。
「すみません。少し、具合が悪いようです」
 そう言って、ペットに手を外させ立ち上がる。
具合、というよりは気分が悪かった。
それでも作り物だとは一度も言われたことのない笑みを湛え、自室に向かう。
ベッドの上で、膝を抱えるために。
「……」
 その後姿を見ながらペットは苦々しそうに舌打ちをしたが、耳には届いていなかった。
「おい、相棒。具合が悪いんだろ?ちゃんと寝ろよ」
 ペットの言葉に小さく笑みを見せながら、でも抱えた膝を解くわけでもなく。
剣士にもなっても、自分はあの頃と少しも変わってない。
 いや、変わるわけにはいかないのだ。
あの時に、自分の心に誓ったことだけは、何が起こっても変わるわけには。












 兄達に貰った新しい帽子をして、家の近所を散歩している時に話しかけられた。
アコライトの制服を着たその人は、嬉しそうに子供を見ながら帽子を褒めてくれたのだ。
「えへへ。ありがとうございます」
 子供も嬉しそうに笑って御礼を言う。
とても、とても幸せそうに笑って。

「……ねぇ、君は今幸せ?」

 子供の笑顔を眩しそうに見たアコライトは、突然そんな質問をしてきた。
その言葉に、大きな目を瞬かせるとまた笑顔になって頷く。
 優しい兄達。新しい帽子。褒められて嬉しい。毎日が楽しくて。
幸せが、当然になっていることに気付きもせずに。
「…忌々しいね」
 そう呟くと、アコライトは突然子供の腕を捻り上げた。
いきなりの事で、何が起こったのか把握していない子供は与えられた痛みに小さく悲鳴を上げただけだった。
「君は何も知らずに、安穏と日々を過ごし…いや、僕が来なかったらこれからもそうやって笑って過ごすんだろうね」
 細められた目は、すでに笑っていなかった。
いや、もしかしたら最初からこのアコライトは笑っていなかったのかもしれない。
「…やっ!離して…っ!!」
 捻り上げられた手を何とかしたくてもがくも、幼い子供の力ではどうにもできない。
そんな子供を見て口元だけで笑いながら、アコライトは更に質問をしてきた。
「ねぇ、お兄さんのこと、好き?」
 痛さに涙を浮かべながら、子供はそれでも頷いた。早く質問に答えれば、解放されるとでも思ったのかもしれない。
しかし、そんなことはなく。
 むしろ、手に更に力を入れて捻り上げる。
「そうなんだ。でもね、君はその好きな人達の幸せを奪ったんだよ。君がいなければ………あの人は、死ぬことなんてなかったのに」
 自らも屈み、子供と視線を合わせる。

「君が、あの人……君のお兄さん達の父親を殺したんだよ」










 瞼を上に持ち上げる。
いつも通りの天井。兄達から宛がわれた自室の、見慣れた天井が目に入る。
どうやら、あのまま寝てしまったらしい。
 きちんとベッドに寝かされ、毛布も掛けてある。
窓を見ると、すでに日は落ちており漆黒の闇が見て取れた。
 あぁ、私の 命は まだ 終わらない。


居間に降り、具合を心配する兄達に、目を細め、口角を上げてみせる。
 これで相手には自分が笑っているように見えるのだ。



あの日から、一度とて笑ったことなどないのに。





















足枷をつけ、歩いていくのです。

それは日々重くなり、私の歩みを遅くするでしょう。

それでも、私は足枷を外すことなく歩いていくのです。



あの優しい人達から罰を貰い、命尽きる、その日まで。