ごめんなさい

ごめんなさい


ごめんなさい









目が覚めると、そこには見慣れた天井。
 サイドテーブルに置いてあるガスマスクに手を伸ばすと、男はそれを少し見てから呟いた。
「……やっと、一年か」
 起きたばかりの掠れた声には、重い響きが含まれていた。


一年間置いたままにしてあったガスマスクを着け、ハイウィザードの制服に袖を通す。
遮られる視界に懐かしさを感じながら、ハイウィザードは自室から出ると、地下に向かう。
首都衛星都市イズルートにある、今にも潰れてしまうんじゃないかと思えるほど古い家。
それがこのハイウィザードの住処である。
外観からは想像は出来ないだろうが、中は至って綺麗で、屋根裏や地下室なんかもある。
 ハイウィザードが向かった地下室。そこにはすでに先客がいた。
ハイウィザードの弟……いや、元弟といったほうが正しいのか。
「やっと、一年だ」
 石の棺に入れられた、元弟の近くまで行くとハイウィザードは呟く。
「そうだね、もう一年だ」
 ハイウィザードの呟きに答えが返ってくる。
それは、もちろん棺に横たわる死体からではなく。
「早いねぇ。彼が死んで、もう一年にもなるんだね」
 ハイウィザードが振り向くと、スナイパーの服を身に纏った少女が一人。
「さぁて、ボクとの契約……どうする?」
 少女が綺麗なアーモンド形の目を細めながら問うことに、ハイウィザードは少し笑ってみせた。
「今更な質問だな。契約は続行…いや、実行って言ったほうが正しいのか」
 この答えを少女は予測していたのだろう、やぁっぱりね、と笑うと、その笑顔のまま棺に近寄っていく。
そして棺を覗き込むと、死体の髪を撫ぜる。
「良い顔してるのに、起こしちゃうなんて……ちょっと可哀想じゃない?」
 その手を止めるでもなく、ハイウィザードに問いかける。
「………」
 ガスマスク越しでも感じるくらい怒気を含んだ視線で答えれば、スナイパーは肩を竦めるしかない。
「ま、ボク的には、君が約束を守ってくれさえすれば良いけどね」
「約束は守る。だから……」
「オッケー、オッケー。 この子の人生のやり直し、そして、今度こそ幸せな生活を、ってので良いんだよね」
 明るいスナイパーの声とは違い、その言葉に酷く傷ついたかのように顔を顰めたハイウィザードは床に視線を落とす。
「……そうだ、もう一度」
 もう一度、そして、今度こそ。



今度こそ、愛されるように。














 ちょっとした観光気分で行って来たダンジョンだった。
冒険者として、同世代では郡を抜いて優秀だと自惚れていたのかもしれない。
ダンジョンに行くというのに大した準備もしないで、危険だと言われたのに人の居なさそうな場所に行って。
「………だいじょうぶ、ですか…?」
 モンスターが複数溜まっている場所があるなんてこと、分かりきっていたのに。
「にいさ、ま?」
 ポタリと頬を伝って落ちた赤い水滴を目で追いながら、ウィザードは動けないでいた。
先ほどの戦闘で力の全てを使い果たしてしまったのが原因だと言われれば納得してしまうほど疲弊した身体ではあるが。
 動けないでいるのは、そんなことが理由ではない。
「…ぃさま、…っ」
 ズルリ、と崩れ落ちる身体を受け止めたいのに、足は動いてくれない。
足元に溜まった赤い水たまりに倒れた弟が、尚も自分を呼んでいるのに。
「に……ま……」
 やけに自分の呼吸する音が五月蝿く聞こえる。
細くなる弟の声が上手く聞き取れなくなってきて、やっと身体が動いた。
 それでもウィザードの足は重く、枷でもついているかのようにぎこちない動きで進んでいく。
 赤い水が靴を汚すほどの距離になって、初めて、周りにも人がいることに気付いた。
それは幼馴染であったり、狩りの相方であったり、弟の知り合いであったり。
 誰しもが悲壮な表情をし、横たわるウィザードの弟を見ている。
「……、」
 弟の名前を呼ぼうとして、声が止まってしまう。
喉の奥に何かが詰まったように、声が出ない。
「……に、さま、」
 口を開く度にゴポゴポを溢れ出る液体を止めたくて、ウィザードは手を伸ばすが、寸でのところで周りの人に阻まれてしまう。
『触ってはいけない』とでも言うかのように、皆一様に首を振り、視線を落とすのだ。
「………んな、さい…」
 一段と小さくなった声を聞き取るために膝をつくと、びしゃりと液体が嫌な音を立てる。
そんな音は良く聞こえるのに、聞きたいものは上手く聞き取れない。
聞きたいのに。聞かなくてはならないのに。
「ごめ、……い………ごめん、な……い…」
 途切れ途切れに呟かれる言葉は、紛れも無い謝罪の言葉。
一体、何に対して。
一体、誰に対して。
「……を、…たしの……せいで、……ごめ、なさ……」
 その言葉に、ウィザードは目を剥いて驚く。
「お、前……まさか!」
 多分、もう何も見えてないし、聞こえてもいないのだろう。
声を荒げたウィザードに反応を示すことはなく。
最後まで。
最期まで。
その息の終わりまで、謝罪の言葉は響いていた。







 弟の謝罪の意味は、すぐに知れた。
半ば以上心当たりのあることではあったが、それはウィザードを驚かすには充分だった。
「アイツさ、いつも死にそうになると言ってた。『私を殺して良いのは、貴方じゃない』ってさ」
 弟の相棒、兼ペットであるポイズンスポアから話を聞きだしたのは、家に辿りついた日の夜だった。
「お前達は隠してたみたいだけど、アイツ、自分が血の繋がりのない弟だってこと、知ってたぞ」
 皆が皆、茫然自失としている中、このポイズンスポアだけが意外にしっかりとしていた。
「……知ってたんだよ。お前の父親が死んだのは、自分のせいだってさ」
 知り合いの施設から子供を引き取ると言って出かけて行った父親は、二度と家には帰ってこなかった。
「アイツ、知ってたんだ。そのことで、お前から憎まれてるって」
 直接手をかけたのは別のものであるが、『こいつさえ、いなければ』と何度も考え疎ましく思っていたのは事実だ。
「憎まれてるの、知ってても、アイツ、馬鹿だからさ」
 話を止めて、ポイズンスポアは息を吐く。
それから、もう一度「救い様の無い、馬鹿だから」と続けて。
「嬉しいって言ってた。『家族』が出来て、傍に誰かが居てくれて」
 愛情に飢えた子供は、仮初の家族でも嬉しいと、憎しみをカモフラージュした愛情でも手放したくない、と。
「だから、お前達の…家族のためなら何でもするって、」
 良い弟になることを望まれれば、そのように。
 礼儀正しくあれと望まれれば、そのように。
 消えてしまえと望まれれば、そのように。
「ほんっと、馬鹿だよなぁ……」
 お前達を守って死ぬ為に生きてるなんて、人間は全くわかんねぇこと考えるんだな、と呟くとポイズンスポアはその場を離れた。
 一人に残されたウィザードは、被っていたガスマスクを外すと大きく息を吸う。
直接吸う空気は、ひんやりとしていて喉に少し痛かったが、逆にそれが心地よかった。
「……なんだ、全部、知ってたのか」
 呟くと、本心を隠すために着けていたガスマスクを壁に投げつける。
どうして良いのか、分からない。
「……なんで、全部、知っていたのに」
 確かに、疎ましく思っていたし、憎んでいた。
実際、殺してしまおうかと思ったことも少なくは無い。
 だが。
「…別に、アイツは、悪くないのに」
 その憎しみが間違っていることも、ちゃんと気付いていた。
だから、殺せなかったし、愛している振りも出来た。
いや、それはもう振りではなかったのかもしれない。
共に暮らした年月は、憎しみだけではなく、確かに愛情のようなものも育てていて。


 今は、ただ、起きることの無い弟の屍に、返ってくることのない問いを呟くしかできなかった。















「あ、言い忘れてた」
 スナイパーの少女は、慌ててハイウィザードのほうに振り返る。
それから、少し言い難そうにしてると、ヘラっと笑って「ごっめーん」と謝り出した。
謝られる謂れの無いハイウィザードは少々胡散臭げにスナイパーを見る。
「どうした? ……今更出来ないとか言わないだろうな?」
「や、そんなことじゃないんだけどぉー」
 なら、なんだ?と問うと、スナイパーはチラリと棺の中を見て、大きく息を吐くと口を開く。
「あのね、ちょっとした手違いっていうか、目論み違いっていうか、なんていうか。身体が小さくなる……つまりは幼児になるっていうのは話したよね?」
 そこまで、一気に言うと、もう一度棺のほうを見る。
そして、恐々といった風情でハイウィザードを窺いながら、続きを口にした。
「それに伴ってっていうか、全リセっていうか、ともかく、記憶をも綺麗になくなっちゃったりなんかしっちゃりして〜?」
 エヘ、ゴメン☆と舌を出して謝るスナイパーを目の前にして、ハイウィザードの時は止まっていた。
今度こそ。 今度こそ、きちんとした家族として迎えることが出来るのに。
「それにね、死んだ時のこと思い出すと、ショック症状で人格崩壊とかしちゃうかも〜? だから、3年は以前の関係者に会わせちゃ……駄目なんだ、けど……ちょっと、ボクの話聞いてるの?!」
 聞こえてるし、聞いている。
だから、ハイウィザードは固まっているのだ。









もう一度。

今度こそ。



愛されますように。